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2022年6月30日木曜日

学びそれぞれ

  6年生教室は空っぽです。修学旅行中の6年生は先程から山陰海岸の遊覧船に乗って、雄大な海岸の景色や海のすばらしさを楽しんでいるようです。この2日間、6年生は修学旅行ですが、各学年は今日もそれぞれの学びを進めていました。

 3年生は理科でしょうか。ボードに映し出されたのは「布勢陸上競技場での100m山縣選手9.95」。おや?子どもたちにはあまりなじみがなかったようで‥。

 

 2年生は音楽。



 1年生は「かな」の練習でしょうか。


 5年生は水泳のようです。


6年生不在でも

  今日は修学旅行2日目。砂丘や浦富海岸遊覧など鳥取市方面で過ごす予定です。しかし、この猛暑ですから、日程や内容や予定時刻など、熱中症予防のために変更があるかもしれません。

 この写真は参加している教頭先生から昨日送られてきたものです。UPします。

 6年生不在の登校も今日で2日目。5年生はじめ、下級生が安全確認に頑張っていました。いつも上級生が行っていることを、下級生はしらずしらずに学んでいるのですね。






2022年6月29日水曜日

ふるさとを知る 続続

  菊港の駐車場で岩田さんとお別れして、町バスは一路赤碕漁協へ向かいます。総務課長の中西さんにお世話にないって、セリの見学をさせていただきました。

 今日の魚は、岩ガキ、しろいか、あご、あじなど。セリ人の声で次々と落札されていきます。「赤碕どれ」と言えば、一種のブランド。漁師さんがとった魚は、こうして、スーパーやお店に並んでいくのですね。「おもしろかった!」子どもたちの感想です。
 私はこれで学校に帰りましたが、子どもたちはポート赤碕の「たこ公園」に行くようです。手を振る彼ら彼女らは、とっても嬉しそうでした。



(背中を向けた紺色のポロシャツの方がセリ人)



(立派な「しろいか」)

ふるさとを知る 続

  赤碕小のある「みくらが丘」を降り、町バスは菊港へ向かいます。ここでは、岩田さんに教えていただきます。

 現在、赤碕港といえば漁港のイメージですが、江戸・明治初期までは、ここ菊港が赤碕の中心の港でした。当時は鉄道も陸路も整備されていない時代ですから、すべての生活物資は海上輸送で運ばれたといってもよいでしょう。琴浦周辺の生活物資は、この菊港に陸揚げされ、陸路で村々へ運ばれていったことでしょう。
 大ぶりの船は(江戸時代には巨大な船の建造は認められず、大きくても「千石船」と称される程度の大きさまで。しかも帆柱は1本しか許されませんでした。私たちがイメージするこの時代の船は、甲板がないのでまるで「たらい」を浮かべたような、そして白い帆1枚で風を受け沖合を進む船ですね。)、海底が浅くて港に直接入れませんから、沖で停泊し、その船と港を小型の船が荷物を積み込み往復していたのです。実はそれが普通で、現在のような水深のある埠頭に、大型の船を横付けするような方式は近代を待たねば現れませんでした。
 当時、菊港も殷賑を極めたと思います。旅館やお店も賑やかだったことでしょう。(周辺には今でもそのころを感じさせるものがわずかに残っています。)「波しぐれ三度笠」前に集まった子どもたちに向かって、岩田さんは、そんなことを子どもにわかるようにお話ししてくださいました。

(菊港と赤碕小学校。赤碕小は「みくらが丘」と言われる標高20mほどの丘の上にあります。この丘の麓、現在赤碕地区公民館があるところには、江戸時代鳥取藩の「藩倉(灘蔵)」の一つが置かれ、ここら近辺から収公した年貢米を保管していました。そして菊港から沖合の停泊している藩船に積みだされ、大阪まで廻送されたのです。「みくら」とは「藩倉」のことです。この藩倉を守るために幕末に置かれたのが「赤碕台場」ということなのかもしれません。)



(彫刻家流政之さんの有名な作品の一つがこれ「波しぐれ 三度笠」。作庭家でもあり、皆生温泉の旅館東光園の庭園は流さんの代表作です。東伯中学校区修学旅行団が本日宿泊するのが東光園です。)





(赤碕港の沖波止のすぐ右に、島影のように見えるのは、明日6年生が遊覧船に乗る予定の網代港付近の山です。)

ふるさとを知る

  3年生は総合の学習で「ふるさと 琴浦」について学んでいます。前回はそのスタートととして「鳴り石の浜」を訪ね、岩田さんと出会いましたね。今日は海岸近くの都合4か所を巡る小さな旅に出るようです。(琴の浦PAで出発する修学旅行団のバスを見送った後、校長は神﨑神社に向かい、今度は3年生と合流です。)

 神﨑神社。赤碕小の東隣にあり、向拝天井の巨大な龍の彫刻をはじめ、社殿あちこちにある精緻な彫刻が有名な神社です。ご祭神は素戔嗚尊ですが、古来より「荒神さん」と親しまれ、人々の信仰を集めてきました。町バスのいつもの運転手さんは「昔、祭礼はすごくにぎやかでね。店も人もすごかった。私はこの境内で迷子になったこともある。」と言っておられました。今日は、山崎宮司様のお話を聞きながら、本殿玉垣の中にまで入らせていただきました。海にかかわる話は大変興味深いものでした。私は西隣の赤碕小に教諭・教頭として都合10年間勤務しましたが、拝殿正面の浦島太郎の彫刻、拝殿扉左右の武内宿祢と応神天皇・神功皇后の話、日光東照宮の彫刻をモデルにした話などは知りませんでした。3年生たちは、わかりやすく、おもしろい宮司様の話に引き込まれていました。「もう少し時間があれば。」と宮司様。子どもたちもちょっぴり残念そうでした。



(「手水」の使い方を教わります。)

(参道の真ん中は神様のお通りになるところ。少しずらして歩きます。)



(山崎宮司様。後ろの彫刻は、神功皇后(息長足姫))



(天井の「龍」は、3Dで測定したところ全長16m。日本一の大きさではないかとのこと。コロナ禍以前は、ドラゴンズファンの多い愛知・名古屋方面からの観光客が多かったそうです。)

(向かって左の彫刻が、応神天皇を抱く武内宿祢。)


いってらっしゃい 修学旅行

  今朝は6年生が修学旅行に出発しました。名札はちゃんとつけているかな、忘れ物はないかな、確かめているうちに全員が揃いました。整列後「大事なことは昨日話しました。とにかく熱中症を予防して、楽しい・無事故の修学旅行を。」と校長から話し、子どもたちはバスに乗り込み、琴の浦PAでの結団式に向かいました。






 琴の浦PAに2小学校の6年生が揃いました。結団式です。児童代表のあいさつや引率の先生方、添乗員・乗務員さんの紹介、全般の諸注意などがありました。赤碕小は1・2号車、船上小は3号車。計3台の大型バスは米子・淀江方面に向かって走り出しました。



(今回の団長は、本校の子どもたちもよく知っている赤碕小井谷校長先生です。)



(今回の修学旅行、急きょ教頭先生に参加していただくことになりました。校長は留守番です。聞くところによると教頭先生は15年ぶりの修学旅行参加とのことです。)


(大山を背景に、山陰道走行車線へ向かう3号車)

2022年6月28日火曜日

5校時の様子

  他の学年の様子も見てみましょう。

 4年生は図工室で、なにやら楽しそうに活動していました。まるで秘密基地づくり。



 5年生は進藤先生と外国語。



 2年生はプール。


年長さんとの交流 5年生

  5年生は本年度、両こども園の年長さんと年間を通しての交流を計画しています。過日の運動会でも、一緒に種目に出場していましたね。今日は、学校に招待して、いっしょに遊んだり、おもちゃを作ったりしました。