学校HPはこちら

2022年10月24日月曜日

「共有体験」の大切さ

  土曜日の夜、文化センターで近藤卓先生の講演を聞きました。テーマは「自尊感情」で、演題は「子どもの心を育てる共有体験」。自尊感情の大切さはこれまでもよく言われてきましたが、私もその子の存在の根底の部分を形作っているものだと思っています。近藤先生の講演は大変わかりやすく、おもしろく、また興味深かった。
 講演の内容をこの短い文章でお伝えすることはできませんし、不十分な咀嚼や、理解に誤りがあってはなりません。ただ、自尊感情は二段重ねになっていて、下段は「基本的自尊感情(ありのままの自分)」、上段は「社会的自尊感情(すごい自分)」であること。また、基盤となる下段を厚くするには、「体験を共有し」「感情を共有する」ことがなにより大切で、糊を含ませた和紙が1枚1枚貼り重ねられるように自尊感情が分厚くなっていくのだと強調されました。
 私が教わった島根大学の肥後功一先生も、たぶん近藤先生と同じことを、同様に「Doing(成すことの自信)」・「Being(在ることの自信)」と表現されています。学校の教育活動は基本的に上段に関与します。下段は、生まれてからずっと親子、家族、家庭、地域に関わりの深いものです。
 しかし、昨今、存在の基盤であるはずの「基本的自尊感情(ありのままの自分でよい)」・「在ることの自信(そのままでよい)」層が大変薄い、あるいは揺らいでいる子どもたちが増えてきているのではないか…、大きな課題として感じられます。
 デジタル全盛の現在ですが、親子で、家族で、友だちで、クラスで、学校で、地域で…、なにか、感情も、時間も、場も、一緒に共有する体験はできないかな。昔は当たり前だったのでしょうが、今、そのような活動はやはり重要なんですね。
 この視点から、改めて学校も行事や取り組みを見直してみることが必要かもしれないな、そんなことを考えさせられました。

〈おまけ 校長の早朝体験〉
 「共有体験」とはなりませんが、日曜日の早朝、「ダイヤモンド大山」を見てみようと、金曜日に5年生が上ったばかりの米子城址に向かいました。土曜日は大山付近には雲が多かったのですが、日曜日はほぼ雲がなく、絶好のコンディションでした。
 車で城址に近づくと、市の職員が交通整理をしていて、三の丸駐車場すでに満車、艇庫側の駐車場もあと数台で満車の状況。家族連れなどたくさんの人でした。本丸に到着してさらにびっくり。大・小天守台はじめ高い石塁には人とカメラの三脚が鈴なりで、本丸跡がこんなに混雑しているのは初めて見ました。
 本丸ではちょっとしたサプライズ。大昔、私が教諭として赤碕小に勤務していた時の校長先生と偶然に出会いました。はるばる関金のご自宅から米子道を走ってお越しになったそうです。もともとアクティブな校長先生でしたが、今でも蒜山や大山にスキーにお出かけになるほどお元気です。偶然の再会を喜び合いながら、私も元気をいただいた気がします。
 6時40分頃。東の空があかく染まり、ついに「ダイヤモンド大山」が出現しました。
    
 (この方が牧田元校長先生です。全く関係ありませんが、誕生日が私と同じ日です。)



 ※今回の記事は、全くの私事です。ごめんなさい。